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 蕪村の辞世の句をどのように思い感じますか?

差出人

 akiboshi

送信日時

 2004/02/12 17:16


皆様へ
今日から暫くお休み致します。
2月の終わり頃には、またネットを再開できると思っていますが、
その間に時間が有りましたら、蕪村の辞世句をどう思うが感想をお願い致します。
皆様も御承知のように蕪村の臨終に立ち会ったのは呉春です。
蕪村は生涯最後の三句
●  冬鶯むかし王維が垣根哉
●  うぐひすや何ごそつかす藪の霜
この二句を唱えて、暫く時間を置いて
●  しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり  
蕪村は生涯最後の三句の俳句を呉春に書取らせ永眠致しました。
この句は表向きは情景句ですが、その裏には蕪村の呉春に対する
いたわりと励ましが隠されているのでは・・・と思っています。
暖かい情感に溢れるこの句に私は心底から感動をおぼえます。
以前から考えていたテーマですが、
皆様にも考えて頂きたいと思っています。
そのキーワードとなる言葉は「王維」と「鶯」と「白梅」と思います。
そして呉春はその時は精神的などん底から「画師としての再出発」になる
池田での隠居生活のさなかに蕪村の看病と為に呼び戻されていた事を
考慮して私はそのように思うのです。
この句をどう感じ、そしてどう思うか皆様のご意見をうかがいたいと思います。
キーワードについて簡単に説明を添えます。
●王維について、
?蕪村が終始敬愛した中国の天才的画家・南画の祖を言われている事。
?王維も心に大きな挫折を味わった芸術家である事
?隠遁生活のような「もう川荘」時代に素晴らしい詩など多くの作品が生まれている

?王維は禅の熱心な信仰者で、その字名は「無言の行」で有名な維摩詰に因んでいる

●鶯について
?鶯の初音は「いち早く春の到来を告げるので万人に愛される鳥」として当時の人に
認識されていた事
江戸時代の啓蒙書に鶯を「春の告げ万人に愛される」善の象徴、鼠は悪の象徴として
書かれている事
?呉春も春と呼ばれていた事、また愛妻の名も「はる」である事
?鶯の「霜の藪」の中では鳴けない事・鶯の笹鳴きは「ジャジャ」としか鳴けない事
?「梅に鶯」は初春のシンボルと言えます。梅に枝で「ホーホケキョ」と鳴いて春を
告げます。
●白梅について
?梅の花は「厳冬の雪を割っていち早く芳香を放ち春を告げる」ので古来中国でも
勇気・剛毅の象徴・四君子の一つとして文人に愛された花である事
?「白梅に」は「白むめの」と書かれてある記録もあるとおり「白む」は「夜が白
む」との掛詞である事。
? 梅に鶯は初春の風景である事
蕪村が没してから七十七日が経ち、門人や緒家から寄せられた追善集『から檜葉』の
中で呉春は月渓の名で蕪村を追善する句を載せています。
●             明六ツと吼えて氷るや鐘の声
この句には月渓の前書きが付いています。
 「師翁、白梅の一章を吟じ両目を閉、今ぞ世を辞すべき時也、夜はまだ深きや、
ととあるに、万行に涙を払ふて」 との前書きです。
呉春は万行の涙を払い、夜明けの時刻である「明六ツ」を吼えたのです。
「吼える」という表現は臨場感をもって実に痛いほど心を突き刺す響きがあります。
呉春が言葉が出せない程に大泣きし、気合を入れて必死で声を絞った状況が見えてきます。
何故に、呉春はこのように万行の涙を流したのでしょうか?
敬愛する師の最後を悟ったからでしょうか?
しかし記述によると、腹痛に悩まされ続けた蕪村の様態は、
その日は穏やかであったと書いてあります。
「今ぞ世を辞すべき時也、夜はまだ深きや」との蕪村の問いに、
「涙を払いて」とあるので、もうこの時点で既に泣きじゃくりの状態を記していま
す。
このように考えると、呉春の男泣きは、蕪村の辞世の句となった「白梅の句」と
前の二句に原因があることになります。
それにこの場面状況には矛盾があります。
「白梅の句」で夜が明けたと詠みながら、なぜ呉春に「夜はまだ深きや」と聞いたの
でしょうか?
これは蕪村の句が写生句の形は外見で、実は実景ではない写意の句である証拠と思います。
その蕪村の情感やその心に触れて、呉春は万行に涙に咽んだのでは・・・と思うので
すが皆様はどのように感じ、蕪村の心をどのように解釈いたしますか?
暫く留守致しますが、帰りました折にメールを開くのと楽しみにしています。
お時間がありましたら、お付き合い下さいませ。
                        春乃