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 Re: 蕪村の辞世の句をどのように思い感じますか?

差出人

 TsuYanaka

送信日時

 2004/02/26 18:44


 春乃さん、夜半亭さんも言っているように「手も足も出ず」が正直なところで
す。やや横道に逸れてしまいますが、
<皆様も御承知のように蕪村の臨終に立ち会ったのは呉春です。
蕪村は生涯最後の三句
● 冬鶯むかし王維が垣根哉
● うぐひすや何ごそつかす藪の霜
この二句を唱えて、暫く時間を置いて
● しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり  
蕪村は生涯最後の三句の俳句を呉春に書取らせ永眠致しました。>
 芭蕉と蕪村の辞世の句を比較してみたらどうだろうか。
 王維の「輞川図巻」(実際に見たことはありませんが)の解説によれば、絵巻
では垣根が随所に描かれているのが特徴とのこと。垣根とくれば梅、梅とくれば
鶯。これで三句の舞台背景は整った。蕪村は王維の「絵巻」の春にどっぷりと浸
って楽しんでいるかのようである。
 芭蕉の辞世の句、
● 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
 芭蕉は死の間際にあっても俳諧師としての矜持を忘れなかった。また、彼にと
って俳諧師とは旅人と同じであった。枯野を旅する俳諧師として、枯野の冥途で
すら旅していなければならなかったのである。弱音を吐くことは自尊心が許さな
かった。
 この芭蕉の俳諧師然とした姿に対して、蕪村の姿は画家でもなく、俳諧師でも
なく、絵巻の中の春を楽しむ名もなき一詩人と言えそうである。
 辞世の句としては、芭蕉の句はわかりやすい、芭蕉の姿を彷彿とさせるかのよ
うである。一方、蕪村の句は、よくわからん、が正直な感想。けれども、私は蕪
村の句の方が好きである。いずれ臨終の時がくれば、“ああ蕪村の心の風景はこ
うであったのか”とわかるのかもしれない。無理にわかろうとすると胃が痛くな
る。
 月渓の「明六ツと吼えて氷るや鐘の声」では、『氷る』に着目したい。冬であ
りながら、蕪村の心には春に遊ぶ“おだやかさ”があったのに対し、月渓は“鐘
の声“を氷らせてしまったのである。”鐘の声”には月渓の慟哭が重なっている
ようにも思える。また鐘の<声>の表現は鋭いと思う。月渓の句は、私にとって
わかりやすい。死を看取った経験があるからだろうか。
 三句全体を通して深読みすれば、蕪村は月渓に対して”心の安らぎ“を求めて
いたのではないだろうか。まだまだ言い尽くせたとは思えないが、とりあえず。
砧井