「夜半亭発句帖」とは、夜半亭宋阿(やはんていそうあ)こと早野巴人(はやの
はじん)の遺句集である。巴人の没後十三回忌にあたる宝暦五(1755)に,門人
の砂岡雁宕(いさおかがんとう)、箱島阿誰(はこしまあすい),中村大済(なかむ
らたいさい)が,巴人の句を四季類題別にまとめて出版したものである。全句で287
句が収録されている。
 かって、蕪村研究会(丸山一彦・中田亮・成島行雄・江連晴生)が、この287句
について輪読会を試み、その全貌を一冊(「下野新聞社」刊行)にまとめたものが、
この「夜半亭ワールド」の冒頭にその表紙の写真を掲載したものである。

 以下、これらの287句について、思いつくままにその輪読会の記録を羅針盤に
して、その鑑賞めいたものを試みることといたしたい。そして、その鑑賞について、
ワイワイガヤガヤと情報のやりとりを期待したいのである。なお、便宜上その蕪村
研究会の通し番号を句の前に付与して、その読みはローマ字綴りとした(上五・中
七に切字(きれじ)があるときは「/」で示し、途中の休止の記号は「・」で表示
した)。
 なお、全て現代仮名づかいとし、出典などで歴史的かなづかいのものには傍点を
付し、さらに読み易いように送りがなも付した。同様に、難解文字や特殊文字につ
いても一般に使われている用字に置き換えて、そこにも傍点を付することとした。
 また、括弧や記号なども単純な一般的なものを用いており、その点についても出
典の引用などと相違していることを付与しておきたい。

        ・
 ●242  炭窯や鹿の見て居る夕煙 

 ●12   鳥既に闇り峠年立つや (このページの最後にリンク有り)



<242>
        ・
       炭窯や鹿の見て居る夕煙      

      
   ( Sumigamaya/ shikano・ miteiru・ yukemuri)    


 この句について、ドナルド・キーン氏が次のような英文訳を付して、
その著「日本文学の歴史8(近世篇2)」で紹介している。


 The charcoal kiln−/A deer watches/ The evening smoke. 

 キーン氏はさらに巴人に関連して「『写生』があるかどうかは、明治期に入ると、
俳句の優劣、とくに中興俳諧の作品の優劣の物差しとして重要視されるようになっ
た。早野巴人(はやのはじん・1667-1742)のような二線級の作家がかなりの
追随者を持つようになったのも、その句に写生があるからであった」(前掲書P319)
と述べている。  
 このキーン氏の、巴人(の句)に「写生がある」ということを単純にそのまま鵜呑み
にすると、句意そのものがおかしくなってしまうことにたびたび遭遇するのである。
 即ち、当時は比喩(「あることを見立てたり,例えたりすること」を句の中味にし
ている)俳諧が横行していた頃であり、巴人の句を理解するときにも、単に何かを写
生したりしているというよりも、何かを比喩しているのではないかということを常に
念頭において接する必要があるということである。
 何の変哲もないような、まるで、一幅の蕪村の南画を見るような思いの、この句も、
現代風の俳句観からすると、季語が、「炭窯」(冬)と「鹿」(秋)と、そして、こ
の句には「炭」との前書きがあり、「鹿」の句ではなく「炭窯」の句なのである。

 蕪村研究会では、「(妻を慕って鳴く)鹿」(秋)の句ではなく、「炭窯」を季語
とする冬の句とし、古来、和歌で詠まれている「鹿」と卑近な「炭窯」とを組み合わ
せた俳諧化(滑稽化)に面白みのある句という理解であった。しかし、この「炭窯」
や「鹿」に,何かの比喩が隠されてはいないであろうか。例えば、この「鹿」は「馬
鹿」の故事に由来のある「鹿」の比喩が隠されてはいないであろうかなどの謎解きの
ようなものである。

 しかし、ここでは、キーン氏の理解のように巴人の平明な写生的な句との理解に止
めておきたい。そして、その上で、@「鹿が炭窯を眺めている夕暮れの絵画的な句」
と理解するか、それとも、A「鹿が炭窯を眺めている夕暮れの新奇な光景の句」と理
解するかとの、二通りの理解では、この句が画家でもある蕪村の句であるならば、@
のような理解となってこようが、変幻自在の俳諧師・巴人の句となると、Aの理解の
方がより妥当のように思えてくるのである。

 もう一つ、キーン氏は,巴人を「二線級の作家」としているけれども、現代におけ
る巴人研究のパイオニアの潁原退蔵(えはらたいぞう)氏の「夜半亭巴人」(「潁原
退蔵著作集第十三巻」所収)の「巴人は巴人として俳諧史上重要な地位を保つもので
はない」(P169)などの影響によるものと理解できるし、芭蕉と蕪村との間を結ぶ
時代(享保の時代)の、その当時の「一線級の作家」との評価をしても、けだし誤り
ではないように思われるのである。
●12   鳥既に闇り峠年立つや (この上をクリックして下さい。)

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